現在札幌エスタにて開催されている「フェルメールとレンブラント オランダの2大巨匠展」に行ってきました。

ここで展示されているのは「リ・クリエイト」という複製画ですが、フェルメールの全37作品とレンブラントの珠玉の30作品を原寸大で楽しむことができる貴重な空間となります。

中には盗難されて現在行方不明の作品もありますから、これは本当に貴重です。

残念なことに私は絵画に関する教養が無いので、全く大したことは言えないのですが、この2人に共通するのは「効果的な光の使い方」かなと感じました。

ただ、同じ光でも使い方は全く異なります。

レンブラントはスポットライトのようにピンポイントで光を当てることでその箇所をはっきりと描きますが、逆に光が当たらない部分はかなり暗く描いています。

有名な「夜警」もそのような手法で描かれているため、夜を描いたものと誤解されて「夜警」という通称が定着していますが、実際には違ったそうです。

↑縦3m、横5mの巨大な作品。この1枚でフェルメールの全37作品がすっぽりと収まります。

↑1990年に盗難に遭い現在行方不明中の「ガリラヤの海の嵐」

↑晩年期の代表作「ユダヤの花嫁」

 

対してフェルメールは基本的に窓から入る光で人物を照らしながらも、背景もしっかりと描きこんでいるという点でレンブラントとはアプローチが異なります。

↑「牛乳を注ぐ女」牛乳が流れている瞬間を切り取ったかのような描写が何とも言えません

↑有名作「真珠の耳飾りの少女」。こちらはあえて背景を真っ黒にすることで鮮やかな青と黄色とのコントラストを生み出しています。

↑「レースを編む女」かなり小さい作品ですが精緻に描かれています

 

私は割と絵画鑑賞も好きで洋の東西を問わず、まぁまぁ美術館に足を運んでいます。

しかし残念なことに絵画に関する教養が全くありません。

特に西洋美術に関しては「観るものではなく読むもの」という言葉もあるぐらい、描かれているものに意味を持たせています。

そういうことをしっかりと学んだ上で鑑賞するとまた全然違った発見があるんだろうな~と思いますね。

しかしその一方で、そのような教養が全く無い状態で直感的に観るということもまた大事かとも思っています。

以前落合陽一さんの『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』をご紹介しましたが(コチラ)、そこではアートを学ぶことの大切さについてこう書かれています。

”アートを学ぶことで審美眼の多様さや普遍性、文脈への接続性、そして物事の複雑性を理解できるからです”

しかし、こうも言っています。

”アートについて話し合う時に、前提知識ばかりを披露したがる人がいます。

もちろん前提知識はあったほうがよいのですが、アート鑑賞は知識を披露することではありません”

私はどちらかと言うと左脳に偏っている人間ですから、アート鑑賞に関してはあまり前提知識をインプットせずに直感的に観た方がいいかもしれません。

いずれにしても今後も定期的に美術館に足を運ぼうと思います。

ちょうど現在東京の上野の森美術館に本物のフェルメールの作品が展示されているということですし、今度東京に行く際に足を運んでみたいと思います。

ちなみに「フェルメールとレンブラント オランダの2大巨匠展」は1月6日まで開催です。