いよいよ明日には新元号が発表されるということで、最近何かと元号のことについて取り上げられていますね。

明治天皇以降は「一世一元の詔」により、元号を天皇の在位中には変えないということになっていますが、かつては天皇の在位中にも様々な理由で元号が変わっていました。

その理由の一つが疫病や災害などです。大きな疫病や災害が発生するとその災いを断ち切り、新しい世の中を作るという趣旨で改元するという考え方があり、例えば平安時代の後花園(ごはなぞの)天皇は在位中8回も改元されているそうです。

我が国では昔から、深い怨みを抱きながら亡くなった者の魂は怨霊となり、社会に疫病や災害など様々な災禍をもたらすと考えられていました。

そこで平安時代には、怨霊を「御霊(ごりょう)」、つまり尊い存在として崇めることで、災害を免れようとする思想、すなわち「御霊信仰」が生まれました。

その信仰対象の先駆けとされるのが、桓武(かんむ)天皇の皇太弟・早良親王(さわらしんのう)です。

奈良時代の末期、桓武天皇が長岡京への遷都を計画した際に、その責任者である藤原種継が何者かに暗殺されてしまいます。

そこで疑われたのが、遷都に反対していた早良親王です。

幽閉された早良親王は身の潔白を主張しましたが、聞き入れられず憤死。

そしてその死後、桓武天皇の妻、母が相次いで亡くなり、さらには暴風雨などの自然災害も続発します。

この一連の災いを、親王の祟りに違いないと信じ、その霊魂を鎮めるべく弔いの儀式を執り行いました(映画『陰陽師』でも取り上げられているエピソードですのでぜひご覧ください)。

やがて宮中行事としても、読経や音楽などによって非業の死を遂げた人物の魂を慰撫する「御霊会(ごりょうえ)」が行われるようになり、さらに「御霊信仰」では転じて、怨霊を神として祀る方針がとられるようになります。

これは怨念が強ければ強いほど、今度はより強力な鎮護の神として人々を守ってくれると考えられたためです。

この鎮魂の目的で建立されたのが、日本各地に存在する御霊神社です。

先の早良親王も「崇道天皇」の諡号(しごう)を贈られ、京都の御霊神社(上御霊神社)に祀られることになりました。

他にも現在は学問の神様として祀られている菅原道真も非業の死を遂げていることから、その怒りを鎮めるために北野天満宮が建立されていますし、平将門の鎮魂のために建立されたのは以前ご紹介した神田明神(神田神社)です。

怨霊と聞くとちょっと怖い感じがしますが、そうやって強いエネルギーで我々のことを守ってくださるということですから、ぜひお近くの御霊神社に足を運んでいただきたいと思います。

↑昨年鎌倉に行った時に参拝した御霊神社。もとは関東平氏五家の始祖の霊を祀った神社で、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになったそうです。