突然ですが人生の目的は何でしょう?

人生の目的とは「幸せになること」と定義できるのではないでしょうか?

人生100年時代と言いますが、いずれにせよ人間いつかは死ぬ運命(さだめ)です。

死の間際に「わが生涯に一片の悔いなし!」と言ったのはラオウですが、そのように「自分の人生幸せだった」と思いながら人生の幕を閉じたいものです。

ではどうなれば「幸せ」となるのか?

というとそれは人それぞれです。

しっかり稼いで、なにか自然災害があった際には惜しみなく寄付をして喜んでもらうのが幸せ!という杉様(杉良太郎さん)のような生き方も良し。

そこまでむちゃくちゃ稼いでいるわけではないけど、いつも家族や気の置けない仲間とワッハッハと楽しく過ごすのが幸せという生き方も良し。

周りからしたら「そんなの集めてどうするの?」というような品をコレクションするのが幸せ!というみうらじゅんさんのような生き方も良し。

幸せのカタチに正解はないのです。

選択理論心理学では人には5つの基本的欲求が備わっていると言います。

それぞれをかなりざっくりと説明すると

「生存の欲求」~最低限の生活(衣食住)、健康

「愛・所属の欲求」~人間関係

「力の欲求」~(分かりやすく)ビジネスでの卓越

「自由の欲求」~経済的自由、束縛されない生き方

「楽しみの欲求」~知的好奇心、娯楽等

となります(正しい解説についてはグーグル先生に聞いてください)。

そしてそれぞれの器の大きさは遺伝子レベルで生まれながらに決まっているとされています。

器が大きいとそれだけその欲求を満たすために注力する必要がありますが、逆に器が小さいとちょっとの力ですぐに欲求を満たすことができます。

私の場合は割とどの欲求も器が大きいのですが、その中でも自由の欲求と楽しみの欲求の器がかなり大きいです。

「誰にも束縛されずに自由に生きたい!」「興味のあることはトコトン追求したい!」

そんな自分の欲求に忠実に生きていたらこんな人間になりました笑。

※自分の欲求の器の大きさがどれぐらいなのか、そしてそれがどれぐらい満たされているのかを調べる方法もあります。

興味のある方はアチーブメント社提供の「5つの基本的欲求サーベイ」を使ってみてください(コチラ)。

そして、選択理論心理学ではこの5つの基本的欲求がバランスよく満たされている状態を「幸せ」だと定義しています。

ということは、人生の目的とは「自分の基本的欲求をバランス良く満たして幸せになること」と言えます。

さて、しかし我々人間は「さぁ、力の欲求を満たすぞ!」と思って行動しているわけではありません。

例えば生存の欲求の器が大きい人は「健康でシュッとした体型をキープしたい」というイメージを持っているかもしれません。

例えば力の欲求の器が大きい人は「会社を成長させ、ブランドものを身に纏い、経済団体の要職に就きたい。人から認められたい」というイメージを持っているかもしれません。

又は同じ力の欲求の器が大きい人でも「人に貢献して喜んでもらいたい!」というイメージを持っている人もいることでしょう。

つまり、欲求の満たし方は人それぞれ違うということです。

例えば先ほど取り上げたみうらじゅんさんはコインパーキングの「空」という表示が「色即是空に通じる」ということで写真を撮っているそうなのですが、これ普通の人にはよく分からん感覚です。でもご本人はそのことによって楽しみの欲求や収集心という力の欲求が満たされて幸せなわけです。

私が神社巡りをするのも、神社に興味がない人にしてみれば「そんなの面白いの?」と思うかもしれませんが、私にとってはとても面白いことであり欲求が満たされて幸せになるのです。

ここのところ、

「それは本当にやりたいことなのか?」

といったことについて何度も書いてきましたが(ようやく繋がった!)、特に自分でビジネスをする人はどのようになりたいのかを考える際に、

「自分の欲求はどうなっているのか?そしてどうすればその欲求を満たすことができるのか?」

をよく考える必要があります。

本当はそんな願望もないのに

「会社を立ち上げるからには上場させて、豪邸に住んで高級車を乗り回すぞ!」

みたいな目標設定をしても真のモチベーションとはなりません。

また仮に頑張ってそれを達成できたとしても実は自分の欲求が満たされていないので、

「上場できて豪邸に住めて高級車も沢山持っているけど全然幸せじゃない!こんなハズじゃなかった!」

みたいな悲しいことになってしまいます。

昔からドラマや映画でもこういうことは取り上げられてきて、「一生懸命頑張ってガツガツやってきたけど、実は本当の幸せは身近な些細なものだった」的なストーリーのものは沢山ありますが、そう考えると、そうやって「本当に自分が望んでいる方向ではない方向に頑張ってしまう」というのは昔から変わらない人間の習性なのかもしれませんね。

まずは”非常識な成功法則”に基づいて「やりたくないこと」を明確にし、それを踏まえて「やりたいこと」をエゴ丸出し、自分本位で色々と書き出してみましょう。

そこにやっぱり豪邸に住みたい、高級車に乗りたいとあれば、そのためにビジネスを頑張ればいいのです。

「ビジネスも頑張りたいけど、趣味の時間が取れないのは嫌だ!」となるのであれば、どうすれば趣味の時間を確保しながらビジネスでも成果を出せるのかを考えればいいのです。

「自分でビジネスをやるなんて面倒くさくて嫌だ!」となるのであれば、無理して起業しなくてもいいのです。

もちろんいくら自分の欲求のままに、と言っても法律上や社会通念上認められないことはやっちゃダメですし、

「一切働かずに自分の好きなことだけして生きていきたい」という都合のいい話しもありません(好きなことで稼ぐ方法を考える方が健全でしょう)。

ラオウのように「わが生涯に一片の悔いなし!」と言うためにも、まずは自分の欲求の器の大きさがどうなっているのか?そしてどうすればその器を満たすことができるのか?ということにしっかりと向き合ってみませんか?