今回は久々に本を紹介したいと思いますが、取り上げるのは神田房枝著『知覚力を磨く 絵画を観察するように世界を見る技法』です。

ビジネスにおいて何かを実行しようとするならば、その前提としてまずは「思考する」というプロセスが必要となります。

何も考えずにとりあえず行動するということで案外いい結果が付いてくる、ということもありますが、基本的には「思考する→行動する」という順番になるでしょう。

しかし、この「思考する」にも前提となるプロセスがあり、それが「知覚する」ということになります。

本書では知覚を

「自分を取り巻く世界の情報を、既存の知識と統合しながら解釈すること」

と定義しています。

「水が半分入ったコップ」

を見て、

「もう半分しか水が入っていない」

「まだ半分も水が入っている」

と感じることが知覚するということになります。

この知覚したことを起点として、「じゃあどうしようか」と考え、行動に移す。

これが人間の知的生産のプロセスとなるのです。

しかし、著者である神田さんは「人間は純粋に見ることができなくなってきている」と言います。

情報がたくさん溢れているからとか、効率を追求しすぎているからとか理由は色々あると思いますが、とにかく「見る」という行動について

「探し物を見つけるために見ている」または「ただぼんやりと漫然と見ている」のどちらかが大半を占めており、「よく観察する」「詳細かつ総合的に観る」ということができなくなりつつあるのです。

「知覚する」というプロセスはその後に続く「思考」「行動」の前提となりますので、このプロセスの質が低いと自ずとその後のプロセスも質が低いものになってしまいます。

ビジネス書でも「思考法」について書かれたものは多いのですが、本書はそのさらに手前のプロセスである「知覚する力」にフォーカスしたなかなかユニークな1冊となっています。

確かに神田さんがおっしゃる通り、忙しい現代に生きる我々は「ありのままを観る」ことが苦手になってきているように感じられます。

テレビやネットの情報は次から次へと消費していますし、例えば綺麗に盛り付けられた料理なんかもじっくりと観る前に「映える~」とか言ってすぐスマホで撮影し、さっさと食べ始めてしまいます。

これでは知覚力は衰えていくばかりです。

ではどのようにして知覚力を磨けばいいのか?

それは「絵画を観察する」ことです。

絵画をただ漫然と見るのではなく、しっかりと観察し、「並んで描かれている二人の人物のうち一人は空を指差し、もう一人は手のひらを地面に向けているので何か対比的に描かれているな」といった具合に解釈するのです。

このようなトレーニングを日常的に行っていれば、例えば朝出勤してきた社員の顔をよく観察し、「元気がないように見える。プライベートで何かあったのかな」と気にかけることができる、という風に日常生活やビジネスにも使えるというわけです。

本書ではリベラルアーツについても言及されていますが、リベラルアーツや絵画鑑賞と言えば落合陽一さんも言及しているテーマですので、これからの時代を生きていくのに必要な要素なのかもしれません。

さて、私も美術館に行くのは好きな方で過去いろんな展覧会に足を運びました。

が、そうやってしっかりと観察したかと言われると・・・という感じです。

本書ではしっかりと観察するためには最低でも1つの絵画につき15分は時間を取る必要がある、と書かれていますがそんなに時間を取って鑑賞したことはありません。

しかもそれなりに時間を取って見たとしても「漫然と見た」というレベルでした。

ということは私の鑑賞法だと残念ながら知覚力を磨くことには繋がっていなかったということになります。う~ん、勿体ない。

不確実性が高まり何が正解なのか誰も分からない時代において、同じ風景や事象を見て、そこから何を感じ取れるかという知覚力は非常に重要な要素となります。

特にリーダーの立場にある人の知覚力の有無がその組織の存亡に直結するようになっていくのではないでしょうか。

そういう意味でも、ぜひ経営者に本書を読んでいただきたいと思います。