前回取り上げた「三種の神器」ですが、記事を読んだ方から「なぜ、3つ全部の本物を天皇がお持ちでない(皇居にない)のか?」というご質問を受けたので、続きで取り上げたいと思います。
確かに気になりますよね。
まずは前回のおさらいですが、三種の神器は天照大御神の天孫であるニニギノミコトが天降られる際に、天照大御神からニニギノミコトに手渡されます。
それから三世代を経て、神武天皇が初代天皇として即位されます。
時は進み、第10代崇神天皇の時代に国内に疫病がはやり、国民の大半が亡くなってしまい、人心は荒廃して国を治めることが難しくなってしまいました。
天皇は朝夕、天神地祇(てんじんちぎ)に祈られました。
それまで天照大御神を皇居の中にお祀りしてきましたが、天皇はその神の勢いを畏れて、ともに住むことは安らかではないと思われました。
そこで、これまで皇居の中でお祀りしてきた御鏡と剣を皇居の外、大和笠縫邑でお祀りすることになりました。
このとき、御鏡、剣の写し(形代)を造らせ、写しの御鏡と剣は宮中に留め置かれ、お祭りも継続されました。
そして第11大垂仁天皇の時代になって、笠縫邑にお祀りされていた御鏡と剣は皇女・ヤマトヒメノミコトにより伊勢の神宮でお祀りされるようになったのです。
また、剣は第12大景行天皇の時代に皇子・倭建命(ヤマトタケルノミコト)の手に渡されます。
天皇から東国の平定を言い渡されたヤマトタケルノミコトは神宮に立ち寄り守護を祈願されました。
その時、ヤマトヒメノミコトから渡されたのです。
無事に東国を平定されたヤマトタケルノミコトは、尾張でミヤズヒメと結婚されますが、その神剣を屋敷に置いたまま、伊吹山の神を討ち取りに出かけ亡くなられてしまいます。
その後、神剣はミヤズヒメによって名古屋の熱田神宮でお祀りされるようになりました。
ちなみに剣は前回「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とご紹介しましたが、これはスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したときにオロチのいる場所の上空にはいつも雲がかかっていたことに由来します。
その後、ヤマトタケルノミコトが東国を平定される際に敵の計略によって火に囲まれてしまった際に、この剣が自然に抜けて周りの草を薙ぎ払ったことで難を逃れることができたので「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と名付けたとされています。
なので天叢雲剣と草薙剣は同一のものとなります。
ということで、勾玉の本物は皇居にあるのですが、鏡と剣の本物は皇居に無いわけです。
ま、私もこのことを知ったのはここ数年のことなんですけどね。
もちろん、この三種の神器は本物であろうと形代であろうと我々が目にすることは叶いませんが、この歴史を知った上で皇居、伊勢神宮、熱田神宮を巡ってみるというのも面白いのではないでしょうか。